創立26年 & 映画「ONODA」2021年10月12日

和歌山市の個別学習塾 咲花の藤田です。

10月10日で学習塾 咲花は創立26年目を迎えることができました。
これもひとえに皆様が当塾を選んでいただいたおかげと”感謝”で
いっぱいです。
当塾に来ていただいた生徒さんは、みんな明るく、行儀がよく、
しつけの行き届いたご家族のお子さまばかりで、26年間、毎日、
笑って過ごさせていただいています。
これからも、生徒さんの成績+社会に出て通用する人材になって
いただけるように努力する所存です。

先週の土曜日に映画「ONODA」を見て来ました。
和歌山県人なら皆様ご存じの「小野田 寛郎 少佐」のお話です。

<プロフィール>
1922年3月、和歌山県亀川村(現:海南市)に生まれる。
男5人、女2人の5番目、4男。旧制海南中学校時代は剣道に熱中、
県下有数の剣士だった(現在5段:錬士)。
1939年、旧制中学校卒業後、商社員として「田島洋行」(現:武漢)支店勤務。
1942年、和歌山歩兵第61連隊に入隊、同年同日歩兵第218連隊に転属、
1944年には久留米第一予備士官学校に入校、同年8月には卒業し、
翌月9月に陸軍中野学校二俣分校に入校、11月に卒業。
1944年12月、フィリピンに派遣 比島派遣軍司令部参謀部付
ルバング島に派遣 遊撃指揮・残置諜者(注記説明)の任務を
与えられる。以来、30年間 任務解除の命令を受けられないまま
戦闘を続行。
1974年3月、作戦任務解除命令を受けて日本に帰還。
1975年、ブラジルに移住。約1200ヘクタールの牧場を開拓、
多い時期で約1800頭の肉牛を飼育。
1984年、自らのフィリピン・ルバング島での経験を生かし、
キャンプを通して逞しい青少年育成のため『自然塾』を開く。
2014年1月16日、肺炎のため東京都中央区の病院で死去した。91歳没


戦争が終わったことは、うすうすは知っていたようでしたが、上官の
帰還命令を受けていなかったため、小野田さんのお父様がルバング
島に来て、呼びかけたが帰れなかったという悲惨な人生を送ることに
なりました。
仲間は4人いましたが、次々と不幸なことが起こり最後は一人きりに
なりました。
過酷なジャングルの戦争の悲惨さを見せられ2度と戦争は起こして
はならないと痛感いたしました。